2009年08月15日

記憶

09−08−15
遠ざかる太陽と地球と、そのすぐ横の三日月を眺めながら、宇宙船は加速してゆく。
冥王星をかすめて太陽系を出る刹那、ふと懐かしさが込み上げてきて、ああ、もう戻
れないところまで来てしまったと、後悔の念が胸を過ぎる。目を細めれば、青い地球
がまだ浮かんでいるのが見える。
HOME・・・65億人のみんながいる故郷が、点となって見る見る宇宙の闇に消え、太
陽系そのものが銀河系の星くずに紛れこんでしまった。
目を凝らして地球のゆくえを追っていた彼には、まだその姿が見えている気がしてい
た。もう見えるはずもない彼方ゆえ、彼の脳裏にはむしろよりくっきりとした記憶の
欠片が蘇って来るのだ?。彼はその記憶をたぐり寄せ、引き止めておかなければな
らないのだ。ひと時もそれを怠れば、たちまち記憶は薄れてやがて消えてしまうだろ
う。
彼は必死で娘の名を呼び、妻の声を思い出しては次々と友人知人の顔を思い浮かべ、
ひとり一人指折り数えていた。しかし、記憶は少しづつ薄れてゆくのではなく、音を
たてて火の玉となって身体から抜け出てゆく気がした。音もない暗黒の宇宙でボ〜ッ、
ボ〜ッと青い火の玉が飛び出てゆく。
記憶とは<生>そのものだったのだ。その記憶の喪失は、すなわち<死>だ。
「死にたくない」
彼はひとり宇宙船の中で呟き、女の名をひとり一人呼びつづけていた。
posted by setos at 06:38| Voice